彼らとオートバイ飛行技術 R

アクセスカウンタ

zoom RSS 彼らと私 -wingmakers

<<   作成日時 : 2006/07/18 02:38   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 5

私は知的障害者(彼ら)の下で働いています。

彼らは光で鏡な存在で…私が見えないものを見て、私とは別の世界に住んでいる住人です。

彼らは闇を怖がらなかったり、臭いの価値観がちがったり、痛みを(あまり?!)感じなかったりします。(もちろん全員がそうではありません)


なぜそういうことが起こるのでしょうか…。


彼らの脳が、私の脳と違っているからでしょうか。確かにそういう部分はあるとは思いますが…闇やら臭いやら痛みなんかは、ちょっと違うように思います。

例えば痛み…

知的障害といっても程度の差も千差万別で、軽度の方から重度の方までほんといろいろです。

私の観察によると…、どちらかというと重度…最重度の方の方が、痛みの感覚が薄いように思います。あと自閉症の方もそういう方がいるように思います。

例えば、麻酔なしで、何針か縫ってもまったく痛がらなかったりとか…。(因みに麻酔なしで平気な人が、他のシーンでは明らかに苦痛を感じている、ということもありますが)

或いは臭い…

これはかなり多くの方に当てはまると思うんですが、便の臭いを「臭いと思わない」という例がよくあります。

ただ、そういう方でも「花の匂い」とかはちゃんと分かったりするので、臭いが分からないわけではないんです。「くさい」と思わないっていう意味です。

なぜ、こういうことが起こるのでしょうか…。


はっきりとは分かりませんが…、「言葉」とか「知識」とかに関係しているような気がします。

「痛い」とは「痛い」ということを知っていて(言葉として頭の中に表現できて)初めて「痛い」んです。

「臭い」もそうです。臭いにはもともと「良い悪い」はない、と何かで聞いたことがあります。「これはくさい」とか「これはいいにおい」とか言っているのは、「常識」とか「教育」によってはじめて判断できるようになるそうです。

親や周囲の人が、「くっさ〜」といって顔をしかめ、嫌悪感をあらわにすることによって「これはくさいんだ…と学習」して自分も「くっさ〜」というようになる、くさいという意味がわかる。

痛みも似たようなものかもしれません。

「肩こり」という「言葉」「概念」がない国には「肩こり」という症状もないそうです。


味もそうで…苦味=毒 の味なので、ビールは「おいしくない」と思うのが正常のようです。ただ、ビールを「おいしい」といって飲んでる大人たちを見たり、それに憧れたりして、頑張って飲んでるうちに、脳が「これはおいしいものである」と情報を書き換えたために、「おいしい」と感じるようになるとも聞いたことがあります。

だから初めて飲んだビールは、正直なところ、「おいしくない」と皆さん思われたのではないでしょうか? タバコもそうですよね?!


私たちが体験していることは、「言葉」や「想い」によって、規定されたものを「現実」として認識しているようです。自分が「そうである」と確かに思うもの=現実。………。



さて、彼ら(知的障害者)の話に戻ります。

彼らは光で鏡です。そして、人間はみな、光で鏡です。

なぜ鏡なのかというと…。


私が、人間関係の中に見ているモノ、すなわち、現実とは、

私の「反射」であるからです。

私たちは、「自分が見たいもの、しか見ていません」。

脳は常に、情報を選択しています。

自分が見ている、ものは、すべて、「選んだもの」ですよね?!

例えばAという人物について、BとCとDという人物が評したとき、

まったく違う人間像があらわれることがあります。誰かが間違っているというわけではなく、

Bという人が見たAという人はそうであるというだけのこと。


ある人は、それを四角といい、ある人はそれを丸という。どちらが間違っているわけでもなく、どちらも正解。なぜならそれは、円柱を横から見たか、上から見たかの違いだけだから。っていうのと同じですね。


そして、人は、「自分のなかにあるもの」しか認識できないので、

認識しているもの=自分のなかにあるもの なわけです。

もちろん、自分のなかにあるものは、経験するにしたがって増えますけどね。


また、自分とは変化するジグソーパズルのピースのようなものであるので、

自分の形にあった、ピースとしか隣接できません。

これが人間関係です。要するに、「似た形」のものしか寄せれないわけです。

(そうでないと認識できないから)

もちろん、似た形といっても…M と W は似てるけど、向きが正反対とか、

そういうことはあります。波長が似てるんだけど、リズムが違うとかっていったらいいのかな。

波形は似ているんだけど…といったほうがいいかな?


ややこしくなるので、このへんにしときます(^^)

言いたいことは、人間関係に見ているものは「鏡に写った自分自身」を見ている。ということです。


問題は光です。

すべての人が、光だっていうのは、まぁいいでしょう。どうでもいいことです。

今、言いたいのは、彼らは殊更に光である。ということです。

糸賀一雄という人が「この子らを、世の光に」という言葉を遺しました。

この子らとは彼らのことです。

彼らを世の光にしろといってるわけです。

決して「不遇な彼らに世の光が必要」といっているわけではありません。

「彼らを世の中の光として行きましょう」といってるのです。


なぜでしょうか…。私が思うに…。

「彼ら(&彼らの周囲の人)が将来の不安なく、幸せに生きれる世界=私たちにとってもすばらしい世界」だからだと思います。

「日本が幸せ=世界の幸せ」とはなかなかならないように、どこかの誰かが幸せであるだけでは、ほんとうの意味での幸せは完成しません。

もっとも、「幸せ」は自分が「そう思うかどうか」にかかっているので、個人レベルでは、それでいいんですけどね。

ただ、別の世界に住んでいるといってもいいほど「違う」彼らと「不安なく、共に幸せに生きることができる世界」というのは「とても幸せな世界」ではないかということです。


そして…彼らが、「不安なく幸せ」に暮らすということは、絶対条件として、「私たちも不安なく幸せ」であらねばならない、ということが付き纏います。

私は、最近、隣でイライラしてる人がいても、さほど気にすることなく幸せを感じることができるようになりましたが、彼らにそれを要求するのは酷かもしれません。

敏感な方が多いからです(もちろん、そういうのまったく無関心でわが道を行く方もいますが)。

彼らの幸せを考える人間は、必ず、自らの幸せを考えねば、目的から遠ざかってしまうのです。

彼らを光として、自分を見つめなおしつつ、自らも光り輝かねばならないのです。


こういうことを彼らは、「極端な形で」「わかりやすく」教えてくれるから、「殊更に光」なんだと思います。

もちろん、私たちもみな、「光」ですから、彼らと接しなくても、自分の中の人間関係を、光として、自らを光り輝かせることはできます(^^)



受け入れることで、世界が広がるように思います。



で、なぜこの記事が、wingmakersなのかというと…まぁ大した意味はないんですけどね。あれ…なんでだっけ…忘れてしまった…ていうか書こうとしていたことと、だいぶ内容がずれてしまったような気も…、まぁ、いっか。LIVEだし…。どうも、ありがとう♪

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
ウチの子も痛みに鈍感なような…。熱が出ても泣いたりぐずったりせずに、ただ我慢してただひたすら寝て治すのみの状態になります。転んでも泣かないで、ただ、怪我した所をなでて我慢している。 普通の子ならちょっところんだだけで恐怖や想像や今までの経験が混ざって泣くのでしょう。そんなに痛くなくっても泣くのでしょう。知的の人たちには、ただ痛みのその点のみで単純だからだと思うんですが…。違うかな?だから痛みや苦しみ不幸感に関しては、普通の人たちっていろいろな事が混ざってて大変なんだよなぁって、変なふうに思うわけっです。(^^ゞ 
キョン
2006/07/18 17:39
こんばんは(^^♪ ちょっと抽象的になりますが…、自分の人生に起こる(&感じる)すべての現象は、自分にとって必要だから起こると私は考えています。

彼らにとっては、そういった経験は「不要」だから、そういう感覚もない(薄い)。のではないでしょうか? もちろん、彼らの中にもそういった経験や感覚が「必要」な人は、それを持っている。

言葉とか能力とかそういったものも実は同じなんじゃないかな? 「必要」=なければ生きていけない人にはそれが必要で、「不要」=なくても生きていける人にはそれが不要…ちょっとうまくいえませんが…。

私の周囲に彼らがいるのは、私にとって彼らが必要だからですし、事実、ほんとうにそう思いますし、そんな彼らという存在にとても感謝していますし、職場や職員にも感謝していますし…ああ、って結局それいいだすと、前に書いた記事と同じで、行き着くところは「ありがとうございます」になっちゃうんだけどね(^^♪
ユニ
2006/07/18 22:06
小学校の頃に、友達のお母様が聾唖学校の先生をしていて、文化祭に行ったあと、どうしても彼らが”何を考えているか”知りたくて、先生になりたいと思っていた時がありました。
この記事はそのヒントがありそう・・・
何回も読んで見ないとyuuの足りない頭では判らないですけど、笑
ヒントをありがとうございます。
yuu
2006/12/29 12:45
何を考えているか…ですか…。なるほど。

そういう視点で、彼ら(知的障害者)のことを見たことは、あんまりないなぁ。

ひょっとすると、僕が、彼らのことを「良き友達」と思えるのは(敬愛の意をこめてね)、彼らが「何を考えているのか」と、考えることなく、あるがままの彼らを、そのまま、「まぁこんなもんだろ」という諦めまじり?! に受け入れているからかもしれません(笑)

でもちょっと、面白そうですね…「何を考えているか」、考えてみよ〜かな♪
ユニ
2006/12/29 13:14
yuuさんに、コメントいただいたので、元記事と、キョンさんのコメント、僕のレスコメントなども読み返してみましたが…。

キョンさんの言ってることって、ものすごく確信をついてるって、ことに「今、気がつきました」。そして、僕はそのコメントを「全く無視したレス」をしてるってことにも!! 今の僕から見れば、このことが分かるんだけど、7月18日の僕には、そのことが分からない。そしてもちろん、キョンさんのことを「無視」しようとも思っていたわけではなく、きちんと返事をしたつもりなんだよね…当時は。

いやぁ〜深い。
ユニ
2006/12/29 13:15

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
彼らと私 -wingmakers 彼らとオートバイ飛行技術 R/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる