下の記事のコメントで、ある方から、お叱りを頂いたので、ご注意を真摯に受け止め、トラックバック記事として、あるブログに僕がしたコメント(自論)を掲載します。 確かに、長いですね〜、ほんと「常識はずれ」だね。僕は(*^_^*) 「疲れました」について お疲れさまです(*^_^*) そういうときもありますよね。どうにもならない時はどうにもならない。ただ、波が過ぎ去るのを、じっと待つのみってね。 唯一、僕ができることは、自分の見方を変えることだけ…。 例えば…もし、今日、大好きで大好きでたまらないミュージシャンに突然、会えることになったとしたら、僕は、今、この状況のままで、どう感じるだろうか? 今日も、仕事が忙しくって、上司は無理難題をいってきて、しかも自分のミスでないことで怒られたとしたとして、でも、家に帰って何気なく新聞を見たら、こないだ思いつきで買った宝くじに一等当選してたとしたら…僕は、仕事での愚痴っぽい気分を果たして継続できるだろうか? なーんてね♪ そんな想像をしたりして楽しんでます。でも、ほんとに、落ちるときは、どうしようもないので、落ちるにまかせて、落ちている自分自身を観察しちゃうかな。 こんばんは(*^_^*) 小説書き…ではないですね。かなり誤解を与える書き方をしてしまったことを謝ります。小説のようなものを書いたことがあるのは高校時代のほんの一時期で、漫研時代には、創作活動は殆どしていません。主にバイクで遊んでました。自動二輪部部長でもあったので(^^ゞ 見方を変えるですかぁ…この旅に出るには、どうしても避けては通れない道があります。でも、あなたはもう半分以上はクリアーしていますね。ただ、最後の難関があります。これは、とても個人的なことで、あなたの心の中で行うことです。ただ、それ故に、とてもとても恐ろしいと感じると思われます。それでも、旅に出る決意をしたならば、それを拒むものはなにもありません。 さて、最後の難関ですが…。それは。「幸せに生きる」と決意をする、宣誓するということです。 幸せに生きるには、条件や、環境、現象、事物にとらわれず、「幸せである」と選択をする必要があります。ただ、人生は、すべて「自分の思い通り(思っている通り…例えば、世の中は甘くない、と思っているのなら、甘くない世の中を体験することになります)」なので、そういう選択をするんだ、という決意をするということが、すべての出発点になるわけです(*^_^*) では、なぜ、「幸せに生きる」のでしょうか? それには、「幸せ」とはなんなのかをよく考えてみる必要があります。 そして、「幸せ」とは… 「権利」ではなく、「義務」です。堅苦しくいうと「使命」でもあります。 死んでから「天国」に行くのではなく、死んでから生き様を判断されるのではなく。 この今の人生、そして、もっと正確に言うと、「今、ここ」に、 自らの中に「天国を創る」ことが生きている目的になります。 この人生全体を、この地球での生活を、天国での生活にするわけです。 なぜなら、それが、最も「愛」のある選択であるというわけです。 あなたも同様の考え方をしておられますが…自らを愛せないものが、他者を愛せるわけがないのです。自らの中に最高の幸せがないのに、他者に幸せを感じてもらうことなどできないのです。世のため、人のため、地球のため、宇宙のために、自分が幸せであり、自分が光り輝く必要があるわけです(*^_^*) でも、心配はいりません。その決意をしさえすれば、あとは、オートマチックに、すべてはうまく回りだします。もちろん、ジェットコースターと同じで、ひやっとすることもあるし、もうだめっ、と思うことにも出くわすでしょうが、所詮は、ジェットコースター、「安全が保障された上で」すべてが行われているのです。もちろん、決意していない人も同様です。常に安全は保障されています。常に、選択の自由は自分自身に帰属します。 環境や状況、現象などは、ただ起こっているだけのことで、それをどう感じるかは自分が「自由に」選択することができます。「自由」とは「愛」です。自由が保障されているこの世界のすべては、愛によってできているという答えが導きだされます(*^_^*) あはは♪ ごめんなさい(*^_^*) ちょっと、寝不足気味で疲れが溜まっていたので、長文になっちゃいました(疲労すると文が長くなるのです…(^^ゞ)。 いえいえ、とってもカンタンなことですよ♪ 要するに「幸せに生きる」という不退転の決意をする、という「それだけ」です。後は、すべて自動的に事が運びます(勝手に運命がまわりはじめます)。 意外なことですが、殆どの人は、心の奥底で「幸せにはなりたくない」と思っているのです。あるいは「幸せになる資格がない」とかね。もちろん、表面上は「幸せ」に「なりたい」なぁ〜とか言うんですけどね。似たようなパターンで、「お金もちになりたい」と口では言ってるけど、心の奥底では、「なりたくない」と思ってる人が大半だというのもあります。 なぜ、そんなことが起こるのかというと、「自分」というものが、全く見えていない状態で生きている。仏教の言葉を借りるならば「無明」の状態にある、ということになります(*^_^*) ってこのままじゃ、またしても意味不明ですね。やっぱり少しだけ続きを書かせてくださいm(__)m (長文、ほんとにごめんなさい) 仮に、これまで人生に対し明確な指針を示さずに生きていたとしたら(自分の人生に対して、指示を与えていいと思っている人は少ない)、それは「無明」つまり明かりがない状態。真っ暗闇の中で、子供の頃からの「常識」とか自分の「体験」とか「経験」によって、「自分」というものを「自分とはこういう人だと決めつけ」て生きている状態です。 それが、「幸せに生きる」という明確な指示を与える(決意)ことによって、身体の全細胞が意識が心が、それを「現実化」しようと動き出します。抽象的に言うと、「自分が光りはじめます」。すると自分の周囲に拡がっていた闇が少しずつ、少しずつ晴れてきます(闇は自らが作り出していたと気づいていきます)。 つまり、少しずつ「見えていなかったものが見えてくる」ようになります。今のこのままの私なのに、今のこのままの生活なのに、今のこのままの環境なのに、別世界にきたかのように、感じられます。周囲はなにも変わっていないのに、周囲のなにもかもが、変わってみえるのです(より美しく楽しくね)。 ただ、もう一度いいますが、「幸せに生きる」決意をするのは恐怖が伴います。なぜなら、みな暗闇の状態に「馴れている」からです。そして、自分には、充分に、最高の幸せを得る「資格がない」と思いこんでいるので、「まぁ、こんなもんさ」と諦めてます。故に、「(自分が)変化」することに対して、恐怖を感じるのです。ただ、この恐怖や不安は「エゴ」から生まれているもので「幸せに生きる」ということが、自分だけのことではなく、他人に対しても、環境、地球や宇宙に対しても、とても価値があることだ、と正しく認識できていない為です。 |
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確かに長いな…って全文よまなかったけど。 |
ribi 2008/03/08 11:02 |
確かに長い… |
ユニ 2008/03/12 22:53 |
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