高1の夏から、悟りを開くことを目指して生きてきましたが 最近の僕の定義では… 「すでにみんな、最初から悟っている」 というものがあります。 以前からもいっていましたが… 「みんな、大丈夫で、完璧な存在である」という定義と同じなんですが… 完璧=欠けるところがない、足りないものはない 状態なわけです。 当然、悟っている状態であるわけです。 ま、今さらなんですけど…(^^ゞ 僕は「悟りを目指してた」のに、「既に最初から、悟っている」のが事実…。 なにをやっているんでしょうね。 もう少しだけ、細かくいうと 「僕」は「悟っていない」と僕自身を「定義」しているけれども 僕=既に悟りそのもの であるわけで… 既に、「悟り」であるのに、「悟りを目指す」という行為は、 「悟り」から遠ざかる…「悟りを目指している限りは、悟りを得ることはできない」わけで(*^_^*) けれども、「悟りを目指す」ことは、悟りへの(最?!)短コースでもある(*^_^*) 面白い矛盾だと思います。 で、まぁ、そんな悟っている僕らは、なにを目指しているんでしょうね♪ 宇宙(=僕ら)は、音楽しているだけなんでしょうね(*^_^*) ちなみに…なにか特定のこれといった「答え」なんてないと思う…。 だって、そんなものが「あったらつまらない」から… だって、そんなものが「あったら、わざわざ、僕らがこんなにいっぱい存在する必要性がないから」… だって、創造主はまさしく創造主であって どんなものでも創り出せる。 創造主が「不要」と思うものは、存在するはずがない。 決まった一通りの「答え」があるのなら、それでいいのなら 最初から、一人の人だけで、すべて解決する。 そうでない、ということは、答えは多様であり、 そして、その多様性こそが、答えであることを意味している。 なぜなら、創造主は完璧なので、 創造主に創造されたものもまた、完璧。 完璧でない、という状態があるということも、また、完璧であるということ(*^_^*) そして、創造主によって、創造されたものは、創造主自体を創造しているという構造にも行き着く 全体は部分であり、部分は全体であり、 この多様性、このさまざまな波が奏でるミュージックこそが、 創造であり、そして、答えである。 すべては、バリエーション。自らを楽しんでいる(*^_^*) なので、「答え」は この、「存在のすべてが「答え」である」という答えがある(*^_^*) |
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