彼らとオートバイ飛行技術 R

アクセスカウンタ

zoom RSS 告白2

<<   作成日時 : 2008/05/31 23:48   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

あらためて言うが、僕は知的障害者施設で働いている。入所型なので、365日、24時間、彼ら(知的しょうがい者)は住んでいて、僕も変則勤務だ。

今から10年以上前、再就職で、雇ってもらった。

そこは、なかなか、素晴らしいワンダーランド(笑)で、まるで学園生活のような楽しい場所だ。


彼らも、また、すごい人たちばかりで、

僕に、イライラさせたり、ムカムカさせたり、悲しませたり、憤らせたりの天才。ほんとうに有難い(掛け値なしで)。


で、僕は、初めて「自分」というものに直面することになる。


それまでの僕の僕に対する評価は、「善人」「いい人」だった。いや、過去、さんざん、めちゃくちゃやらかしてるし、自分の中にダークな部分もあることは知ってはいたが、まぁ、平均的に、平均以上にいい人だとは思ってた。

ところが、彼らは、僕を、「そんな、中途半端な善人」ではいさせてはくれなかった。


なにせ、常識が通用しない。めちゃくちゃだ。

善も悪もない。めちゃくちゃだ。

僕とは、めちゃくちゃ、違う部分をもってるし、「理屈」や「常識」でコントロールすることもできない。

「脅迫」や「褒美」も通用しない。


それに、「しょうがい」がある。


例えば、食事の時間だよってことで、呼ぶ。 > 来ない人も多い。(全く逆の人も多いが)

散歩の時間だよって呼ぶ、来ない。それだけじゃなくて、爪をたててきたり、噛み付こうとしてきたり(かまれて粉砕骨折した人もいるくらい)、めちゃくちゃ。


現在、僕が担当している人は、面白い「癖?!」を持っていて

食事の時、自分の食器類を「払いのける」のだ。


まだ、一口も食べてないのに。

で、床に落ちる。ぐちゃぐちゃになる。

で、それを拾って、食器に戻し、食べたりもする(食べないときもある)。


1度や2度ならいいが、それは、もう、何百回、何千回とくり返されている。

なにを言っても無駄。「汚いよ」なんて関係ない。

彼はやりたいからやる。

で、こっちは、だんだんと腹が立ってくる。


僕は、「善人」でいたかった。

だから、ある程度は我慢したり、注意したり、脅したり、すかしたり…すべて徒労に終わった。腹が立った。

罰を与えてやると思った。


ある職員は、彼がそうした瞬間に、平手打ちした。

僕は、その職員に対して、心の中で、毒づいた、批判した、軽蔑した。


で、僕はどうかというと、彼に、床を拭くための雑巾を取りに行かせた際、

彼を罰した。精神的な罰は通用しない人なので(理解力の問題)、直接的に。


やり方もいろいろある。ストレートな人は殴った。ほかにも、蹴る、投げる。いろいろ。

ストレートじゃない人は「でこピン」とかをした。

僕も、ほとんどのことを、やった。肉体的にも、精神的にも、罰を与えたり、

脅したり、すかしたり、憤ったり(もちろん、誉めたりもしたが)。


僕は、平手打ちした職員を裁くことはできない。自分のほうが、もっと陰湿だった。


数年して、僕もいろんな経験をして、いろんなことを学んで、どうなったか…。


彼がすることを「許容した」つもりになった。

が、今の僕から、すれば、それは「無視」「無関心」だった。


状態としては、

 Good <<< >>> BAD
無条件の愛   →  怒り・憎しみ  →   無視・無関心

善悪を云々するつもりはないが、「存在」に対して、のダメージの割合とでもいおうか、

無条件の愛は、「癒されるし」「満たされる」  生命にとって、良い影響がいっぱい出る。
怒りや憎しみは、生命にとって、あまり良い影響が出ない。悪い影響が出る。
ただ、最悪なのは、無視・無関心。実はこれが、致命的なダメージを与える。


僕が、すごい! 成長したと思って取った行動は、

許容という仮面をかぶった「無視・無関心」だった。

自分の心を殺してしまったのだ。


結果どうなったか。彼にとって、良くなかっただけでなく、

僕自身の心も、喜びも悲しみも感じることが少なくなってしまった。

ロボットのようなものだ。


他の施設でも似たような事例があった。

あまりにもひどい問題行動に対して、

「究極的には」一切の感情を殺し、ロボットのようになり、職員全員が統一した対応をとることで

うまくいきました! と意気揚々と、報告していたところもあった。

果たしてほんとうにそうなのかな??

実は、全員「死んでしまった」だけなんじゃないのかな…。


で、最近の僕は…

自分の弱い、ところ、醜いところ、ダークなところ、悪なところ、怠惰なところを

なるべく全部、曝け出すようにしている。


以前の僕にはできなかった。なぜなら、そんなことをしたら

「僕の価値はなくなってしまうんじゃ」「誰からも愛されなくなるんじゃ」「悪い人になってはいけないんだ」と

心の奥底で、思っていた。


でも、今は、徐々にできるようになった。

なぜなら、僕は、無条件に愛されている、ということを「知って」いる。僕の価値は増えるとか減るとかそういうものではないと「知って」いる。


なので、今は、「仕事」という枠をこえて、めちゃくちゃやらせてもらってる。

普通に考えれば「クビ」だろう。

サボりたい時に、サボるし。ひどいこと言ったり、するし。


でも、まぁ、そういうのも、そろそろ、辞めにしたい。

もう、充分、自分の情けなさや矮小さも周りにアピールしたし、

僕自身、「こんな自分になりたい」と思ってるわけじゃない。


ただ、他の職員の人たちに対する批判的な目を、かなり緩和することができた。

僕は、他の人たちが、表に出している部分を影に隠し、見えないように、見せないように

自分自身からも見えないようにしていたけど、

そういう部分をもう全部出した。出させてもらった。

もういい。もう充分だ。


僕は、もう「コントロール劇」にとらわれて、感情を暴走させる必要も

インナーチャイルドを暴れさせる必要もない。


僕は、僕の意思で、

なりたい僕になる。 これまでもそうだったが、これまで以上に、これからはそうする。


好きで、サボったり、ひどいことを言ったり、したり、していたわけじゃないんだ。

それが、他の人、彼ら、また、僕自身に対してもわかった。


みんな、「愛と平和」の中で生きたいと思ってるんだ。でも、それがうまくいかなかった。

恐怖と不安に支配されて、恐れから、そういった、行為・行動に走る。

駆り立てられるように。


なぜなら、「自分は無条件に愛されている」と「信じられなくなっている」から。


だから、もういい。

僕は、無条件の愛を受け入れよう。


僕は必要以上に、僕の「善」を周囲にアピールしなくていいし、

また、最近のように(ずっと昔もやっていたが)、必要以上に、僕の「悪」を周囲にアピールしなくてもいい。


みんなも僕も、そんなこと、する必要ない。

無価値なものなんて、なにもないし、愛されていないものも、なにもない(なぜならすべてが愛(神)だから)。


究極の「ならなきゃいけない人(雛形)」なんてないんだよ。

すでに、みんな究極形なんだ。

あるのはただ、「なりたい自分」だけで。

そして、

進化も退化もない。

究極から、究極に「変化」があるだけのこと。


すべての自由が、自ら(愛)によって、保障されている。

どうなりたい??


僕は、愛と平和を感じ続けて生きたい。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
1,2年目の頃にどうしてもうっとうしい、嫌い、むかつくと感じる利用者の方がいて悩んだすえにひらめいたのが、感情を殺して(感じないようにして)うわっつらで対応すればいいんだ!!ってひらめいたことがあったよ。それを
先輩支援員に話して、「それっていいの?」って笑われたことがあったよ。なのでその笑われた光景は今日まで何度も繰り返し思い出す光景であったりするかな。浅はかな自分を忘れないように、忘れられないのかもね。
ribi
2008/06/01 21:11
うん、でも、やってみても良かったんじゃない? (あ、やってたね…Nさんでも)
いろんなことやって、失敗して、経験する…それも素晴らしいことだと思う(^^)
ほんと、彼らは、「許容量」が半端なく広い、から、僕もそれに甘えさせてもらって、いろんなこと、やらせてもらった、めちゃくちゃもさせてもらった。で、めちゃくちゃいい経験ができた。
彼らは、人を優しく体験ベースで「教え導く」
天才だと思う。ほんと、感謝してる。
ユニ
2008/06/01 21:33

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
告白2 彼らとオートバイ飛行技術 R/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる